飛びたい

声おた業、それに伴う二次元おたく業に復帰したが、とてもよろしくない。
心がどんどん濁っていく。

多分、今の私は二次元おたくたちが嫌いだ。復讐の心で嫌いだ。10年くらい前の二次元おたくをやっていた頃、同人活動において、私はセクマイのようなものだった。女性向同人の恋愛脳ぶりに吐きそうだった。そもそも番い思想がしんどかった。また、性癖は地雷と呼ばれることが多かった。カップリングは逆王道が多かった。現状最後の自ジャンルと呼んでいる、同人活動していたジャンルでようやく息がしやすくて楽しくてマイノリティにならなかったものだった。解釈違いはあれども。だから、Twitterが同人者に普及した後に頻発する学級会は嘲笑している。そんなことを言って、私のようなサークルをありえないと言ってきたくせに、みたいな。あれらを気持ち悪いと思っている。
だって、自分の好きなものを声に出すたびに「異常」「ありえない」「ない」とずっと言われてきたんだもの。疲れた。

そして声おたも嫌だ。各種おたくの中でも一番最悪だと思っている。でも他のおたくなんてどうでもよくて、一番しんどいのは本人に傷つけられてばかりの世界だからだ。幸い、私が「好きなせいゆうさん」と呼んだ人たちには傷つけられることはなかったけれど。要はかつての窓系列担のようなことが起きてばかりだ。なんであんなに露呈する界隈なんだろう。令和では意識が変わるんだろうか?

そこに戻るのが嫌だった。
だから、なりたくないなりたくないって言っていた。
そして、既に、あの頃みたいに世界を呪って、わざわざ嫌味ったらしく、いちいち全てを言及してしまう自分がいる。
さらに、懐古BBAぶりが酷い。あの頃はあの頃はあの頃は、うるせえよ。本当に嫌だ、こんなくすぶった鬱々した気持ちは久しぶりだ。



というのが、ここ1ヶ月ほど。
過去の自分すげーみたいなpostばかりする自分は早く死なないかなと思いながらも、またpostしてしまう病。早く死んでくれ。

と思ったところで、私はこの10年でおたくとして自由になりつつあったのかもしれない。すとんと、ただただ好き、と思えるという。
じゃにおたを経て、たからづかにハマり、そこではっきりと己のおたくのやり方が変わった。やり方も考え方も。でもそれは相手がフェアリーだから可能な話かもしれないけれど。だけど、二次元おたくも同人も声おたも、以前のようなやり方でやる必要はないのだと今の私は思える。思い詰めて思い詰めてやるおたく業だって、それはそれで悪くないけど体力が必要で私にはもう体力はない。だけど私はそれでもおたくを名乗れる、名乗っていいと思える。悲観してこそファン、おたく、なんてもう思わないのだ。わざわざ辛くならないくても私はおたくだ、ファンだ。
だから、今の私のムードに合う声おた業・二次元おたく業を、私はもう選んでいいんだ。と思う。出来るかどうかはわからないけど。
とりあえず、懐古BBA postは控えよう。
postした後の自己嫌悪がやばい。初めてのジャンル、ど新規なんですよ、見るもの全て新鮮です!の気持ちで古巣を覗くのもいいじゃないか。素直に好きだと言っていいんだよ。わざわざ、あの大嫌いなファンたちのノリに自分も合わせる必要はないのだ。
おたくは一人でやるもの。その肚があるから、私はじゃにおたのことが大好きなんだと思う。憧れる、そうなりたい。個人サイト、個人サークルを経たおたくなんだから出来ないわけがないでしょ私。
やれんのか! やりますよ!